昭和48年 7月22日 特別奉修委員 入力者【明渡徳子】
「こればかりのことなるからによからんと心許すに過ちおこる」これは過ちが起こるということもそうですけれども、あの、こればかりの事だというところで、おかげが受けられないということですよね。もちろん過ちも起こります。けれども、ちょっとした、おかげを頂く人と頂かない人は、もちょっとした心持ちが違うんですよ。
先日も、あの日田の謝恩祭の時に、船の中でご直会を頂いた時に、おビールのおつまみに枝豆が出てました。なかなかとにかくおいしいんですよ。ばってん、これは何か板前さんかなんかちょっとてごしとるだろうと。だから、あの、船に乗ってきておる芸子さんに「板前さんに聞いてきてくれ。どんなしてあるだろうか」ちゅうて。したら「これは誰にも教えられんとですよ」と言うてから、あの、言うたっちゅうのが、あのー、湯がく時に「味の素」を一振りしとくそうです。それで、とにかくおいしいんですよね。だからただそれだけのことなんです、ね。ですからもうほんとにあの、コツとかおかげを受ける人というのは、もうそういうこればかりの事というところに、いつも心が行き届いておるようですね。もうこれは、これはまああたくしから見る、あー、皆さん。あたくしから見るここの修行生の方たちの場合の、もう目の荒か荒かと。あたしはこれまた神様の場合になるとまたそういう具合になると思うんですけれどもね。
えー、例えば言うならこうして扇風機なら扇風機使うちゃならんちゅうことじゃないんです。けども、ちょいと立つ間じゃけんで、もうよかよかと。電気なんでん御結界立つ時っちゃ電気付けたまま。もう昨日の1時のご祈念の時に、久富?先生があっち座っちょりましたが、電気付けたまま下りてくる。もうあたくしはその間お詫びさせてもろうとった。もういいけれどもね。あのもうご祈念、30分すりゃあすむけん、また上がりなさるけんいいようなもんだけれどです。あたしたちの場合なんかそれがもう人一倍神経を細く使いよるようには思うです。始末倹約という意味じゃないです。いわゆるその、美味しゅう頂く頂かんのコツというのが、ただほんのそこ誰も気が付かないところに、ちょっとやはり、いー、一振りしてあるということであったらね。あのー、があるように、信心もこればかりのことだから良かろうと。いわゆるそういうところから誤りが起こると、あのー、まあ教祖様が教えておられるけれども、これは誤ちが起こるということじゃない。もうもちろんそれたい。けれどもその、こればかりのことで、あなた方はそこからおかげを漏らしてしまいよるといったようなところがありゃせんでしょうかね。どうぞ。